クリスマスの夜にサイゼリヤへ入るのは、少しだけ勇気がいった。
街全体が「誰かと過ごす前提」でできているような日で、
一人で外食をすることが、なぜか特別な選択のように感じられたからだ。
でも、扉を開けて中に入ると、思っていたほど特別な空気はなかった。
いつもの照明、いつものテーブル配置、聞き慣れた食器の音。
特別なBGMもなければ、イベント感を強調する飾りもない。
ただ、少しだけ人が多い。それだけだった。
カップルは確かにいる。
家族連れもいる。
でも同時に、ひとりで座っている人も何人かいた。
ノートパソコンを開いている人、
黙々と食べている人、
スマホを置いて天井を見上げている人。
ひとりでいることは、思っていたほど目立たない。
こちらが気にしているほど、他人は見ていない。
その当たり前の事実を、久しぶりに思い出した。
注文したのは、いつものドリア。
値段も味も、何年も変わらない。
サイゼリヤは、特別な日であっても、
「今日は特別じゃなくていい」と言ってくれる店だ。
料理が運ばれてくるまでの時間、
スマホを机に伏せて、少しだけ周りを眺めた。
誰もが自分の世界を生きている。
他人のクリスマスを完成させるために、
ここに来ている人はいない。
クリぼっちという言葉には、
どこか敗北感のような響きがある。
でも実際は、
ただ一人で夕飯を食べているだけだ。
誰かと一緒にいない夜があるからといって、
人生が停滞しているわけでも、
何かを間違えたわけでもない。
ただ、その日がそうだっただけ。
食べ終わって席を立つとき、
少しだけ気持ちが軽くなっていた。
ひとりでいることを、
過剰に意味づけしなくていい。
そう思えた夜だった。
今日のソロログは、
サイゼリヤでのクリぼっち。
静かで、普通で、
それでいて、ちゃんと居場所のある時間。
それで十分だと思った。


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