誰にも会わない日が、数日続くことがある。
仕事は最低限のやり取りだけで終わり、外にも出ず、声を出すことすらほとんどない。そんな日が重なると、時間は静かに伸びていく。時計は進んでいるはずなのに、感覚だけが取り残されていく。
最初に変わるのは、時間の感じ方だ。
一日はやけに長く、しかし振り返ると何も起きていない。予定がない分、思考の行き先も決まっていない。すると頭の中は、現在ではなく、過去や未来へと自然に滑っていく。
思い出すのは、もう関係の終わった人や、あのとき言えなかった言葉、選ばなかった道だ。普段なら忙しさに紛れて考えないことが、誰にも会わない静かな時間の中では、はっきりと姿を現す。孤独は新しい感情を生むというより、もともとあった考えを拡大させる装置のように感じる。
一方で、未来の想像も増える。
このままでいいのか、何か変えたほうがいいのか。答えの出ない問いが頭の中に浮かび、消えずに残る。誰かと会っていれば、会話の流れや相手の反応によって思考は外に引っ張られるが、ひとりの時間ではすべてが内側に向かう。
ただ、不思議なことに、何日か経つとその波は少し落ち着く。
考えすぎて疲れた頭は、やがて同じ場所をぐるぐる回ることに飽きる。すると、深刻さのない思考が増えてくる。今日は何を食べようか、少し散歩に出てみようか、そんな小さなことが意外と大切に感じられる。
誰にも会わない時間は、決して常に健全ではない。
思考が過去に偏りすぎると、自分を責める方向へ傾きやすいし、未来ばかりを見ると不安が膨らむ。ただ、それでもこの時間には意味があると思っている。外からの刺激がない分、自分の内側がどんな癖を持っているのかが、はっきり見えるからだ。
会わない日が続くと、思考は遠くへ行く。
過去へ、未来へ、そしてまた現在へ戻ってくる。その往復の中で、自分が何に引っかかり、何に安心するのかが少しずつ分かってくる。誰にも会わない時間は孤独でもあるが、同時に自分を観察するための静かな場所でもある。
だから最近は、会わない日が続いても無理に埋めようとしない。
思考がどこへ向かうのかを否定せず、ただ眺める。ひとりの時間が長くなるほど、思考は暴走しやすいが、その軌道を知っていれば、必要以上に振り回されずに済む。誰にも会わない日が続くことは、悪いことばかりではない。そう思えるようになるまでに、少し時間がかかっただけなのだ。


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